歴史上もっともイケメンな土方歳三。歳三さんが訪れた栃木、会津~撮影映画「歳三の刀」撮影を行っています。なんだか時空を超えたストーカーになった気分…。

 京都時代の新選組というと、華々しいイメージがありますが、その後の新選組の様子って、伝えられていないと思いませんか。ドラマでも、新選組、というと京都時代ですよね。

 京都時代は「芸者にモテモテ」なんてことまで育ての親でもある生誕地、東京日野市の義兄に日々手紙を誇らしげに送り続けた土方歳三ですが、北へ北へと追われながら盟友近藤勇を斬首という残酷な形で失って、山梨甲府に攻めていってからは、義兄佐藤彦五郎にも手紙を送っていません。当時の新選組は新政府側にとってテロリストという扱いでしたから、“新選組に関わっていることが、当時新政府側にわかれば財産も家族の命も奪われる”といっても過言ではありませんでした。

 土方歳三は宇都宮城を放火し、天守閣を全焼させ、自分も大きな怪我を足におい、そのまま日光を越え、会津へと渡ります。







 そこで、歳三さんは会津の東山温泉につかりながら養生をするんですね。会津といえば新選組に京都警護を命じた会津若松の松平容保公のおひざ元。会津滞在中に土方歳三は会津の街を一望できる丘の上に近藤勇の墓を作りました。会津は土方歳三にとって、盟友近藤勇を弔い、心を整理する本当に大切な時間だったのだろうと存じます。

 新政府側が旧幕府側を攻撃した戊辰戦争の中で最も痛めつけられたのが会津です。2か月にもわたって戦闘で、会津藩の戦死者は2977人。城下の3分の2が焼失。会津藩の勢力は正規兵が3500人、農兵などを合わせると約9600人、一方新政府軍は約75000人でした。圧倒的な戦力の差の中で、女性も娘子軍(じょうしぐん)として戦い抜きます。「今も多くの家の中の柱に刀の切り傷が残っている」と地元の方はおっしゃいます。

 そんな会津で撮影したのは近藤勇が天然理心流の襲名披露をする夜の宴会のシーンです。地元会津の土方歳三さんが傷を癒した温泉の芸妓の皆さんも出演してくれました。しかも三味線の生演奏つき。2020年12月から毎週日曜日に土方歳三の生誕地日野で藤本流の藤本秀照多先生のもとで、芸者役の女優たちが稽古を続けていた三味線を披露しました。演奏したのは、150年前の幕末に多摩地域で歌われていた唄「鮎かき歌」です。鮎のお寿司を甲州街道を通って江戸に献上するときに、あまりおいしいからちょっと一口食べちゃうというかわいらしい歌。

料亭「田事」の飛び切りおいしい会津料理、地元の末廣酒造さんのお酒に自然と役者さんたちの顔がほころび、生きる喜びにあふれます。土方さんは人生の最もつらい時期を、会津の人の情けと美味しい食事と美しい芸妓たちとの時間で癒されたのかなぁと、実感します。映画撮影の様子はNHKをはじめ福島中央テレビ、

福島民友、福島民報など多くのメディアで紹介されました。

 東山芸妓の皆さんは本来であればオリンピックの関連事業としてのステージがあったそうですが、この撮影の数日後、福島県すべてのオリンピック関連イベントの中止が宣言されました。ギリギリでしたが、疲弊する会津に、小さいけれど仕事を作ることができて、よかったなぁ。

 この時の撮影のご縁が始まりで、土方歳三生誕地の日野のJAで会津の特産品の販売が決まったとのこと。京都、日野、山梨、板橋、栃木、会津。函館、新選組にかかわるそれぞれの地域をつないで、それぞれの地域の特産品を応援するような映画に育てていきたいな。コロナでみんなしんどいけど、心をつないで、関係してくれたみんなが潤う。

農民出身のサムライ、近藤勇や土方歳三が願ったのはそんな世界なんじゃないかしら。




当誌の社友たる増山麗奈監督の日ロ合作映画《歳三の刀》は、辰巳琢郎や加藤登紀子出演で製作が進んでいる。

コロナ禍でようやく撮影が始まったので、本人から報告の投稿をいただいた。



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