私はゲイです。


                                                 岩手県 中村 Q助         
                        



アンリー監督が製作した映画「ブロークバックマウンテン」でヒースレジャー演じる主人公のイニスが子供の頃を回想するシーンがあります。それは同性愛者である男性が性的嗜好を理由にハレンチを受けるシーンです。イニスは自らの性的嗜好に気付き、恋人であるジャックとの関係を続けることを望みつつも父親から聞いたゲイ差別主義者によるハレンチがトラウマになって葛藤します。20世紀初めのアメリカでは良くあることだったのでしょうか。

 日本でのLGBTに対する人々の視線はここまで酷くはないけど優しくもないのではないかと感じて居ます。

 私はゲイです。中学の頃からなんとなく同性に惹かれる気持ちがありましたが異性と付き合うのが普通で自然なことだと思っていました。それゆえに同性ではなく異性の恋人を作っていました。ところが大学生の頃から自分の気持ちに正直に生きた方がいいと思い自らの性的嗜好を自認し始めました。

 私は全くモテる人ではありませんが、いずれ人並みにパートナーに巡り会って結婚したいと思っています。しかし残念ながら日本では同性婚ができる法制度がありません。現行の憲法においては「両性の合意」という文言の「両性」というのは男女を意味していて同性婚を想定していないと考えられるためです。同性婚の代わりにパートナーシップの制度がありますが、異性カップルと結婚とは認められる権利がかなり限定的で充分とはいえません。しかも本来は政府がきちんと法制化すべきものを、なかなか重い腰を上げない政府を見兼ねて自治体が自主的に始めた制度です。簡易的な制度といった感じは拭えません。

 同性婚に反対する人の意見として挙げられるのは少子化に繋がる、伝統的な家族観が崩れるといった意見があります。しかし、子供を持たない異性カップルは存在するし、伝統だからと言ってすべてが現実に相応しいとは限りません。

 私は自らの性的嗜好を近しい関係の人にはオープンにしています。しかし、「同性愛の人は男性ホルモンが少ない」「ゲイは嫌いだ」「気持ち悪い」といった全く根拠のない偏見に満ちた言葉を投げかけられたことがあります。その度に自分を責める気持ちや自分を変えないといけないのではないかという焦りの気持ちが生まれました。同性婚に反対する人の中にも偏見に似たような気持ちがあるのではないかと推察します。

 「性的嗜好は自分では変えられないのですか」

 とは、ある裁判官がLGBT当事者に対して法廷で投げかけた言葉だそうです。この質問にとても違和感を感じました。異性愛が当たり前でそうでない愛の形は異常であるという考えが背後にあると思ったからです。数が多いというだけで正常であるとは限りません。そして同性同士の婚姻が認められないのは差別や偏見が根強く残っているからだと思います。差別や偏見は人々を分断します。そのため生きづらい人々を増やしてしまいます。LGBTに限らず特定の人種や障害者など差別や偏見の目に晒される人間は数多くいます。

 差別や偏見が生まれる理由は自分は正常で他者は異常である、自分は優れていて他者は劣っているという考えにあるのではないでしょうか。自分とは違う他者のことを想像し、理解する心があってこそよりよい社会を作れるのです。よりよい社会とはすべての人が生きやすい社会のことです。もちろん自分の中にも差別や偏見の気持ちは存在します。完全に無くすことはできません。しかし社会全体の仕組みとして特定の人間が不利益を被ることは間違っています。

 今年の通常国会で与野党代表が《本国会中に夫婦別姓に関しての法案を提出》すると合意されたのに、自民党内に保守派が反対して法案すら提案できなかった。最高裁もまたしても別姓を認めないのは違憲ではないと判決しました。別姓すらこの状態ですから、日本で同性婚が実現するには長い時間がかかるかも知れません。時間がかかってもいい、少しでも差別や偏見のない社会に向かっていくことを願っています。同性愛が笑いものにならない社会に、そして同性愛が普通のこととして受け入れられる社会に。




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