無言館での成人式
落合恵子さんの言葉の確かさ

                                            信州のロザリアン         
                        






太平洋戦争の終結をはさんで、この世に生を受けた人々の中には、平和と戦争というコインの表と裏のように背中に張り付いたその時代の感覚で、平和を守る活動をなさっている人や場所があります。沖縄戦での壮絶さを描いた画家の丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」がある沖縄の普天間基地の隣にある佐喜眞美術館、同じく丸木夫妻が32年間描き継けた「原爆図」のある埼玉県の東松山市の丸木美術館、そして無念の死となった戦没画学生の遺作の絵を収集・展示している無言館は、長野県の上田市にあります。作家の水上勉さんの息子である窪島誠一郎さんの『無言館』では、毎年4月末に成人式があり、参加した若者は、自分の年齢に近い戦没画学生の絵と対峙して、自分を見つめ、心の扉を開き、窪島館長とゲストの方から成人の祝福を受けます。

 19回目の今回のゲストは、作家の落合恵子さんでした。落合恵子さんが若い時、深夜のラジオ番組でレモンちゃんというニックネームのパーソナリティーとして、若者のハートをキャッチしてました。私も布団の中で親に見つからぬように、レモンちゃんの言葉に耳を傾けていた1人でした。この無言館のある塩田平は降水量が少ない場所だそうですが、今回の成人式は初めての雨の中での式典でした。若葉の緑の織りなす静けさの漂う『無言館』に雨音が伴奏となり、このコロナ禍で20歳を迎えた若者15名は、落合恵子さんから一人ずつ本人当ての祝福の手紙と言葉をいただきました。落合さんは20歳の頃は、何にでもなれそうな気がして、一方では何も出来ないような行ったり来たりした日々だったそうです。

 戦争中は、出産は自宅で助産婦さんがあたりまえの時代だったそうですが、

落合さんのお母さんは、シングルマザーで許されざる時代だったので、栃木の小さな個人病院で出産し、シングルマザーではこれからバッシングを受けるから、ここに入院している間は安心して過ごしてと言ってくれたこの病院が、空襲で犠牲になってしまったそうで、戦争だけは絶対にダメだと、いつもお母さんから聞かされていたそうです。1945年に生まれた落合さんは、10歳の時に母親に『なぜ私を生んだの…?』と聞いたそうです。『あなたのお父さんが大好きで、戦争で会えないから…』と。次の世代の子供たちに、生まれて来て良かったと思える社会を、ほんの僅かでも大人の1人として作れたらと、子供と女性の本の専門店『クレヨンハウス』を立ち上げられました。私は東京にいた時には、絵本やオーガニックの食事やコスメ、木のおもちゃは友人の出産祝いに重宝して、大切なお店でした。

横にいてくれる人間関係の大切さ

 落合さんに無言館の絵の中で、好きな作品をお伺いしたら、しゃがんで膝をかかえて寂しそうな少女の絵を選ばれて、私はふと、その絵の少女と10歳の時に母親に問いかけた少女の落合さんとが重なりました。

 血の繋がりがない子供たちにも繋がりたい。生まれて来てありがとうと言える大人になりたい。『だから戦争はダメ!平和が大切!』『無理だからダメかも…』と諦めない。人生はうまくいかない事ばかりでも、必死に生きて、打ち込むことが大事で、それが人生なのだと…どんな大人が身近にいるかで、子供は変わると!!

 コロナ禍の不安の中、1947年にカミュが書いた『ペスト』と今を重ねて、カミュの名言『私の前を歩かないでください。後ろについていないかもしれません。私の後ろを歩かないでください。先に立って導かないかもしれません。私と並んで歩いてください。そして私の友でいてください。』を、落合さんが紹介してくれました。そして、人権と命については、『私はあなたを生きることは出来ません。あなたを生きるのはあなたしかないのです。』と…船出した若者たちへの熱きメッセージは、私へのメッセージでもありました。



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