国連欧州本部
第26回国際平和美術展に出展

本誌連載の画家 中田恭子さん


国連入口

(編集部より)

 本誌面で毎号自身が描かれた絵と文で
平和・子供・愛を唱えてこられた中田恭子さんが
出版社の推薦もあって国際平和美術展に
出展されました。



 国際平和美術展は広島市や長崎市の
犠牲者の遺志を受け継ぎ「芸術からの平和希求」
を祈念する活動です。日本政府や広島市、
長崎市、日本ユネスコ協会などの支援を受けて
これまで広島・長崎を初め世界各地の会場で、
各地の要人や現地の人々と平和への思いを
交歓してきました。 広島と国際連合欧州本部で
開かれる国際平和美術展が改めて不戦と
核廃絶について考え、人類の共存や共生、
協調の時代を創出する機会となることを
心より祈念します。同時に唯一の被爆国日本が
最後の被爆国となるべく、核兵器の全廃と根絶を
めざす核兵器禁止条約に参加を求めます。
核の傘理論を優先すれば核廃絶は永遠に
実現できません。核による人類絶滅の危機を
避けるには、核の傘を認めつつ核の傘を無くす
努力をすべきです。



 中田さんは「今年は第一次世界大戦が終わって
100年目。国連では日々会合が重ねられ、9
月には平和祈願の絵も沢山飾られました。
国際連合欧州本部事務局長マイケル・モラー氏、
在ジュネーブ国際機関日本政府代表部 
特命全権大使と平和活動家、櫛田英俊氏、
と共に絵描きの代表として私も子供達に明るい
未来を念じスピーチをしてきました。
たくさんの人が涙を流しながら聞いて
くださいました。日本でも平和の祈願を
していただければと思います」と語っています。



中田恭子さんのスピーチ


スピーチする中田恭子さん



 「世界平和を祈る絵画展」に呼んで
いただいたことに深い感謝をいたします。



 73年前、広島と長崎に、原爆が落とされました。
母は、翌日長崎に入り救助活動を行ない、
そのため被爆者となりました。
母が20歳の時です。
しかし、健康に私と妹を生み、93歳の今も、
母は元気に暮らしています。
今日、平和祈願にこの場に参列した妹も私も、
それぞれ子を授かり、子から孫も生まれ、
母から4代にわたり平穏を得られた事に
感謝するばかりです。



 しかし、私の生まれ育った町・長崎には
被爆による多くの悲劇がありました。



 「あきら」という当時3歳の少年の話をします。
彼の母や姉は原爆によって焼かれ、
あきらも体中にガラスの破片が刺さりました。



 まだ3歳では悲しむことを知らず、
痛みも既になく、自分の体に刺さった茶色の
ガラスを1つ引き抜いて、天にかざし、
キャラメルありがとう、と言って亡くなった
と聞きます。あきらは母のいとこでした。



 こうした戦争と原爆の悲劇をたくさん
乗り越えてきた、愛すべき故郷・長崎
という原点の土地で私は育ち、
平和を人々に伝える使命を授かった
と思っています。罪なき魂を救うために
私たちは戦争を許容してはいけません。



 人にはいつも2つの道が与えられています。



 異なる意見を排除してしまうのか、
それとも互いに認め合う努力をするのか。
人を殺めるのか、はたまた救いの使者となるのか。私たちは子孫の平和な未来を守るために、
正しい選択をしなければなりません。



 この度、平和を創造する使者として 、
魂を込めた祈りの作品を日本より
持ち寄りました。私たちの祈りの作品が
平和の実現に貢献できるよう願っています。


(画柳会代表 中田恭子)


作品「固い絆」の前で


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