藤沢周平(上)
-周平の視線と周平への視線―

鎌倉市 市川 隼



藤沢周平(『歴史読本』より)


 藤沢周平(本名小菅留治)は
1926年(昭和2年)12月26日に、
山形県東田川郡黄金村高坂(現鶴岡市高坂)で、
農家の6人兄弟の4番目の次男として生まれた。
黄金村は明治22年に命名された行政的な名前だが、名前の通り、稲穂の続く美しい農村で、
農作業を厭わない留治は皆から可愛がれ、
文学好きな明るい青年に育ち、
夜間の鶴ヶ岡中学校を経て、山形師範を卒業し、
希望通り、中学校の教師となった。



 人に天職というものがあれば、留治にとって
教師が天職であり、周平にとっては、
小説家が天職だった。留治が教師となって
3年目の春の24歳の時、定期検査で
結核が発見され、休職を余儀なくされ、
6年間の闘病生活後、30歳で退院した時には、
教師への復帰は閉ざされていた。
教師を続けられていれば、多くの子供達と接し、
生徒に好かれる先生としての一生を
貫いていたに違いない。
46歳で直木賞を受賞し、郷里での講演会で
昔の教え子に囲まれ、40歳位になっていた
教え子は手で顔を覆って涙を隠し、
留治は壇上で絶句し、
「先生、今までどこにいたのよ」との声に
胸が痛んだ。教え子達を忘れた訳ではなく、
業界紙に勤め、「間借りしていた小さな世界」
に自足していた頃、声高く自分のいる場所を
知らせる気持ちがなく、教え子達にとっては
行方不明の先生だったと、『再会』に記している。



 農家での成長、教師の経験、6年に亘る
闘病生活、教師復帰への絶望、業界紙での記者、幼子を残して妻に先立たれた等の
様々な経験が、順風満帆な生活から
落ち毀れ行く人々や、社会の下層で
精一杯生きる人々への、温かい視線となって
周平世界が築かれた。周平は、食肉加工の
日本食品経済社に身を置いたが、
10年に亘って編集長として書き続けた
『甘味辛味』では、零細だった食肉加工業社が
高度成長期に急成長する姿を追い、
黒人は駄菓子を買うより一本のソーセージを
買うという黒人作家のリチャード・ライトの話を
紹介し、子供達が喜ぶソーセージやハムの
食品開発に一喜一憂し、消費者に好まれる
メーカーの個性を活かした食品開発を促す
編集長の視線にも、一片の曇りはなかった。



 『溟い海』、『囮』、『黒い縄』が候補作となり、
4作目の『暗殺の年輪』が、第69回直木賞を
受賞したが、選考委員からは辛口の評が
述べられている。「ただの時代小説で、
端正に作った上手物の焼物の感じだが、
膚質のきれいさがすてがたい」(司馬遼太郎)、
「何時もの清冽巧緻な文章。
あまり細部描写に蔽われているために
全体の迫力を弱めているのは氏の美的欠点
であろうか。乗雲の発展を望みたい」(松本清張)。周平は1997年1月26日に69歳で亡くなるが、
受賞時の選評が杞憂であったかの如く、
多くの小説家にも愛される小説を書き続けた。
丸谷才一は弔辞で、「明治大正昭和三代の
時代小説を通じて、並ぶ者のない文章の名手は
藤沢周平でした」と讃え、井上ひさしは、
「藤沢さんが新作を公にされるたびに、
手作りの地図に書き入れるのを日頃楽しみに
しておりました。その楽しみがいま、
永遠に失われたのかと思うと、
ほとんど言葉が続きません」と、
周平との別れを悲しんだ。



 周平の作品は、多くの映画にもなり、
ドラマとなってテレビに映し出された。
山田洋次は、『たそがれ清兵衛』、
『隠し剣鬼の爪』、『武士の一分』の秀作を
制作したが、前者2作は、周平の複数の作品を
一つに纏め、幕末期に時代設定を変え、
明治維新を絡ませている。清兵衛は
戊辰戦争で戦死し、鬼の爪では、
刀の戦いに命を懸けた剣士の決闘に
新式銃を登場させ、主人公片桐宗蔵に
武士を捨てさせ江戸へ下らせる。
作品に漲る緊張感が、映画では些か
弛緩してしまう印象で、<原作通りのままの映画
なら、監督の出る幕はなくなる>は映画を
創る側の論理だが、原作者の視線をそのまま
大切に守るのか、或は、監督の新たな視線を
受け入れるのか。読者や観客に投げ掛けられる、常に変わらぬ宿題の様だ。




市立藤沢周平記念館(鶴岡市)


読者からいただいたメールを載せています。ご覧になってください。
編集部では皆様からいただいたメールには出来るだけお返事を
出すよう心がけています。

ご意見・ご感想はこちらまで!

ページトップへ