世界の国と街を訪ねて第20回

ベネチアの迷い小径


大阪市中央区 馬場 正雄



 イタリア北部のベネチア、長靴の右側付け根に
位置する水の都、運河の小さな島の都市として
世界でも特異な存在だ。「ベネチアの商人」
の言葉が示すように中世には商業都市国家
としてギリシャなどを支配下に置くほど栄えた。
それが今や観光都市として街全体が観光を

生業
なりわい
に繁栄している。観光産業以外で
飯を食っている人がどれだけいるかと思うほどだ。



 夜遅くベネチア空港に着き、駐車場横の
水上バス波止場から暗闇の海上を轟音を
響かせながら走ること70分、日付が変わる頃に
終着のサン・マルコ広場の波止場に着いた。
ホテルは広場の隣だけあって部屋は予想以上に
狭く、ベッドで脚を伸ばすと壁に当らんばかり。
立地が良いから我慢して3泊した。



 まるで中世のようなベネチア。
かつての町民達は今の観光都市を想定して
街づくりをしたかのようだ。何故陸地から
少し離れた不便な島に都市を作ったのか?
ベネチア市島は歩く時の目安になる
1本の大運河が逆S字状に掘られ
真ん中辺りに有名なリアル橋がある。




早朝のサン・マルコの桟橋でモデル撮影があった



 翌朝、ホテルの横が黒い舟体のゴンドラの
発着場だった。安くはない
70€(ユーロ≒9千円)を払って
1時間弱乗ってみた。右も左も中世からの
石の建物がぎっしり詰まっている。
漕ぎ手は壁に脚を押し当てたりしながら、
巧みに次々に来るゴンドラを交わしていく。
彼らはお揃いの横じまのマドロスシャツの
アンちゃんだ。そういえばカンツォーネの
サービスはどこでも聞けなかったな。
運河の橋は全て石の階段で1~2m
上がり降りしてアーチ状になっているから
ゴンドラは楽にくぐり抜ける。いや待てよ、
昔人は運河岸の自邸の階段から物資を
取り込んだとしても、そのためにベネチアの
全ての橋をかさ上げしておいたのか?
それとも近代、いや現代になって
観光ゴンドラの為に階段橋にしたのだろうか?



 聞けば細い運河は160本ほどあるから、
人が歩けば運河に、階段橋に当るというわけだ。
狭い中世の通路の上に階段橋だから
ベネチアでは車が通れないではないか。
ベネチアは街中に車を見かけない世界でも
特異な街だ。旅行者は重いスーツケースを
階段橋を引き上げなければいけないから、
街中のホテルに泊まると人力で運ぶのが
大変だから、水上タクシーでホテルに向かう。
石の建築物は日本の木造に較べて長持ち
するから、西洋には中世の街が残っている
都市が多い。ここベネチアはその最たるものだろう。小道や小径があって何度も袋小路に
突き当たって戻ったが、それもベネチア
ならではのご愛嬌。幅が1m程の通りを両壁に
圧迫されながら歩くのも一興で、その先の
広場には銅像があったりした。



街中がこんな感じ、ゴンドラと石の橋



ベネチアカーニバル(仮面舞踏会)



 毎年2、3月にサン・マルコを中心に開かれる。
普段でも近隣にカラフルで奇抜な仮面を
売る土産物屋が多い。広場はナポレオンをして
「世界で最も美しい広場」と言わしめたとか。
夜になるとテーブルを張り出したレストランの
向こうとコッチとそのまた向こうとで、生演奏や
イタリア歌劇が聞かれ、客から拍手が湧く。
向こう側に負けじと熱が入り観客を盛り上げ、
喜ばす。演奏の中に“瀬戸の花嫁”も流れてきた。



 そしてもう一つ、ベネチア映画祭は
世界三大映画祭で1982年に黒澤明監督の
『羅生門』が栄誉金獅子賞に選ばれたことで
日本人にも知られている。ベネチアは街を
改造せずに、中世の不便さを残すことによって
観光都へと巧みに変貌した成功例では
なかろうか?世界各国から大挙して押し寄せる
客を相手に有名ブランドから小物屋まで
立ち並ぶ。日本も京都や高山をベネチアのように
外国人でごったかえすほどの観光立国に
できるだけの文化や食の魅力を備えているはずだ。



(追記:帰国して1955年上映の
キャサリーン・ヘップバーン主演の名作
“慕情”をテレビで見入った。旅先のベネチアを
舞台にした米伊の男女の恋愛ものだが、
当時の街は殆ど今と変わらない美しさだ。
変わったのは旅行者の服装、ゴンドラの
漕ぎ手が統一して綺麗になったことか。
さすがにラストシーンの玄関口サンタルチア駅は
近代化されていた)




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