今年3月初旬、ノルマンディ冬合宿中のある日のこと、
突然舞踏合宿をこの夏を最後に終了しようと決めた。
既に数年前から考えていたことだったが、
決めたのはその日が初めてだった。



 昭和もやがて終わろうとする88年末に
東京からパリへ移住した。
6年後の95年にノルマンディ南部に転居して
翌96年から春夏の国際舞踏セミナーを始め、
それが23年間続いたわけだ。
パリ時代から通算すれば30年になんなんとする。
よくも続いたものだ、続けられたものだ。
自分には特別な才能があるわけでもなく、
ただひたすら社会から逃れ「野に生きる」ことだけが
目的だった。



 止めようと思った動機は冬合宿で或る新人参加者に
接したとき、ひどい疲れを感じたからだ。
私の流儀はその人の持ち味に応じて
「どうすればダンスが可能か」を追求することで、
熟練者も新人もその意味では差異がない。
全力投球するから手応えも大きい代わりに
失意や疲労も大きいのだ。



 73歳とはいえ踊ることにかけては
まだまだ自信もあるし、他のジャンルの踊りと違って
熟練が踊りをますます豊かにしていくと自負している。
が、教えることは相当な心的な疲労を伴うので
やむなくこの結論に至ったわけだ。



 思えばこの30年間、弟子も持たず
(というかソモソモ<師弟>などという考え方が
好きではない)どんな組織にも属さず、
ひたすら独行した自分が曲がりなりにも
生きて行け家族も持てたことは、
ひとえに自分の仕事をヨーロッパの各地で支えてくれた
オーガナイザーの方々がいたからだ。



 10年を超える単位でセミナーを組織してくれたのは
ローマ、オルビエット、ナポリ(以上イタリア)、
パリのボリスビアン財団、ハニヤ、
アテネ(以上ギリシャ)、ケルン、ボン(以上ドイツ)、
ヘルシンキ(フィンランド)など各都市の組織者だった。
それ以外の単発の仕事でフランス各地や
外国に赴いた数は枚挙にいとまがない。
現在でもブリュッセル、ボローニャ、
ルガノ(スイス)などで年に一回のセミナーは継続中だ。
気がついたら30年間で70カ国200都市にも及んでいる。



 また当初は、私の歯に衣(ころも)着せぬ直言に加えて、
英仏語によるコミュニケーションの難しさもあり、
毎回大勢の方々が参加してくれたが
反感/反発も随分あったし、合宿中の夜逃げも
後を絶たなかったものだ。それがどうだろう、
この原稿を書いている今(6月10日)アテネで
5日間の集中セミナーの最中なのだが、
15年来の参加者たちが
「マサキはずいぶん変わったね」と言ってくれる。



 何が変わったのか?踊りへの考え方は
少しも変わらないのだが、人への
「思いやりをどう表現するか」が変わった
ということなのだろうか。
人にはそれぞれ異なる条件がある。
性格も環境も体力もからだの癖も違う。
そのことをわかろうとせず一気呵成に
自分の考え方を伝えてきた自分には
大きな反省と悔いがある。
取り返しのつかない時間が過ぎてしまった。
思いやりとは人の心を察知し、
それを伝えるために如何に言葉や身振りに
それを転換することが出来るか
ということだとやっとこの10年ほどでわかってきた。



 最近しきりに思うことは大スターになぞらえられる
王道人生のありかただ。大スターになる人は
初め荒削りではあっても言うに言われぬ魅力がある、
それが経験と周囲の人々の支えで
ますます光り輝やいていく。
人生もまた、初めから人としても魅力を
湛えていれば経験と人々の支えで
ますます豊かに輝いていくことだろう。



 一方で私のように良い歳になっても人生や
人を理解せず、人生も終わりにさしかかった頃に
やっと幾つかのことがわかってくる者もいる。
その意味で私は長いあいだ参加者や
組織者の方々から報酬をいただきながら、
それによって逆に我が身をわずかずつでも
磨いてくることが出来た。ありがたいことだ。
これを至福と呼ばずして何と呼べば良いのだろうか。





2018年8月、フランス南ノルマンディでの最後の舞踏合宿参加者と筆者


2016年、伊・ボローニャ山中コルメロで筆者。撮影はChiara Tabaroni.


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