越後の良寛さんの魅力
その4

長野県塩尻市  中島 敏正




14 形見

 71歳も過ぎた良寛が村人や有力ながい者から、形見に何か残してくださいとせがまれて、次の句を残した。


 「形見とて何残すらむ春は花、夏ほととぎす、秋はもみじ葉。」


 貧しい自分は財宝や財産など形見として別にこれというものは何もないが、ほら、この身の回りにある春は咲き乱れる花々、夏は野山に鳴く鳥の声、秋は全山いっぱいに紅葉するもみじ、この変わらぬ自然が、あなた方に残していける形見だよ、という句。


 元々この句は良寛が師と仰ぐ道元の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」の歌(歌のタイトルはほんらいめんぼく……本来の面目とは悟り・真理を表している)から一部転用したことが知られているが、要するに良寛は、この自然の中にこそ、物や金に変えられない素晴らしいものがあるのだと言いたかったのだ。



良寛の墓(長岡市隆泉寺)


15 ぼくねんじんでない


 本来ならば出雲崎の名家を継ぐ長男がこともあろうに20歳で出家して。30歳過ぎから山奥のいおりに20年近くもたった一人で住むとは全くの変人か、朴念仁かと思われても仕方あるまいが、20歳までの青年期には、妓楼に入り浸って、ほうとうの限りを尽くし、また父親(以南)との葛藤もあって(一説によれば実父はほかにいたとの説もあり)光照寺なる寺へ駈け込んで出家するまで、さまざまな経験とジレンマもあり、いかにも人間臭さが加わってかえって良寛の厚みと魅力が増大していったように思う。



16 貫かれた「そう」の思想


 近藤ばんじょうなる人物がまだ若い頃、偶然良寛に出会った時のことを記している。四国の土佐を旅している時、激しい雨に見舞われて、近くに粗末な庵があったので、雨やどりと、一夜の宿を求めた。そこにはやせた一人の僧が炉ばたに坐っていて「何もないけれど、よければどうぞ」とこころよく受け入れてくれた。その庵の中のものといえば、ぼとけと机と机の上に「荘子」の本が一冊、これだけであった。これがあとでわかったのだが、岡山の円通寺で11年の修業後、いんを授かってから、全国を行脚していた良寛だったのである。


 みなりは僧であっても老子・荘子思想に深く共鳴と影響を受け、特ににんてんしん(すべてはありのまま成り行きにまかせる)、無為自然(天然、自然の中に真理あり)などは良寛の一生を貫いた考え・信条だった。そして一生涯、荘子思想が良寛の考え方や行動に大きな役割を果たした。




良寛像(隆泉寺)

17 到達した良寛


 良寛の晩年の詩にこういうのがある。

こうべをめぐらせば七十ゆうねん

じんかん かん

おうらいあとかすかなり しん

いつしゅせんこう そうした


生まれてよりこれまでの七十数年を振り返ってみると

人間界にあってさまざまな良し悪しを嫌というほど見てしまった。

深夜人の行き来もまれになってただ雪が降り積もっている。

最後の線香が一本古びた部屋で燃え尽きようとしている。


 この詩を口づさんでいると最晩年の良寛のびた心境に近づける感じがする。「じんかん かんく」こそ「人間とは? 人生とは?そして生きるとは?」そうした思索を重ねてきた良寛の本音だと思う。良くも悪くも世の中のことを嫌というほど見てきて何もいらない、欲しいものは何もない。ちょっと寂しい気もするが、こうまいな悟りの境地に到達したのであろう。




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