恭子の日記 ⑫

 



愛の目標




60年前の懐かしいわが家



 「ただいまー」「ただいまー」何度声を

かけても誰も出てこない。それはそうだ。

私の父も母も共働きだった。幼稚園の初め

まではお手伝いのおばあさんやお姉さんが

いたが、いつの頃からか私が帰る頃は

いつも1人になった。田舎だったので

周りがみんないい人で、鍵も締めることも

なかった。



 扉を開けて「ただいまー」と言って、

私は走って玄関の中に入る。玄関の中に

入った私は大きな声で「恭子ちゃんおかえり」

と言う。そしてまた外に走り出て、

「はーい、ただいま」と言って中に入る。

幼稚園の私は「おかえり遊び」を覚えた。

それは結構、私には満足のいくものだった。

毎日毎日「ただいま」と扉を開けて中に入る。

自分で「恭子ちゃんおかえり」と言う。

また外に出て「はい、ただいまー」と言って

部屋に入る。私は覚えた一人遊びがお気に

入りになり、そのことを覚えたての字で作文

にも書いたらしい。「1人遊びのただいまー

おかえりー」だ。



 そしてそれはどういうわけか長崎市の

本に載ってしまった。田舎は周りの人が

暖かく1人で帰っても怖い事はない。

近所の人が声をかけてくれるから。だから

寂しいと言う気持ちではなかったのだが、

母や父はとてもこたえたらしい。母は学校の

先生をしていて、父は市の教育委員会にいた。

とても子煩悩で愛情の深い父母だった。

だからこそ余計にこたえたのだろう。



 「1人空想ごっこ」が好きだった私は

その日も何か頭の中でお話を作り、ぼちぼち

野花に話しかけながら、下を向いて家のそば

まで来た。すると玄関にたどり着く前の門の

ところで「恭子ちゃんおかえり~」と言う

声がした。ふと頭をもたげてみると父と母が

門のところで両手を広げて待っていてくれた。

今思うと母は学校があったはず、父も仕事が

あったはず、なのになぜいたのか全く

わからない。だけど幼い私は何か世界一素敵

なプレゼントをもらったような嬉しい

気持ちになって小走りに走って父と母の胸に

飛び込んだのを覚えている。



やさしさと幸せの原風景



 年頃になり私にも思春期が訪れた。

父母を少しうるさく思ったり、距離を置いて

みたりした時も、いつもその門のところに

立っていた2人の姿が思い浮かばれ、

私は心から父や母に反抗することは

できなかった。結局思春期の未熟者は

2人の深い愛に完敗したのだと思う。

今でもなぜ2人があの時間にあそこにいた

のかわからない。私の作文のせいで多分

父母が話し合ってそうしたのだろう。

父や母に聞いてもニコニコ笑って何も
答えてはくれなかった。




 だけどすでに父も他界し、母も92歳に

なり、認知症になってしまった。

母は全てを忘れても子供や孫やひ孫のことは

覚えている。愛情の深さは永遠に消えること

がないらしい。



 4~5歳の頃の一瞬のその素敵な光景

はいつもいつも優しさと幸せを私に

届けてくれる。


 私に「愛情とはこういうものだ」

と言うことを教えてくれている気がする。


 まっすぐでそして汚れのない父母の愛を

誇りに思い、私もそういう人になりたいと

目標にしている。


画柳会代表 中田恭子








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