山本周五郎(下)

  ー女性に支えられた小説家ー

鎌倉市在住  市川 隼





50年以上前、独仏の歴史家や哲学家を

テーマにした議論が盛んだった頃、友人が飲み屋の

女将に、「周五郎を読みもせず、感じもしない人間を

信じないね」と言われたと、話した事がある。

丁度、本屋の戸棚に、周五郎の全集が並び始めた

頃であった。周五郎には、女性の読者が多かった

と言われているが、周五郎も、自分の写真を見たら

読者が減ると冗談を言い、写真を撮らせなかったようだ。

周五郎は、女性を描くのが上手な作家だと云われ、

女性を主人公に描いた作品が多い。『日本婦道記』、

『柳橋物語』、『花筵』、

『おたふく物語』、『五辯の椿』

、『その木戸を通って』、『将監さまの細道』、

『しづやしづ』、『おさん』等が代表作だし、その他の

作品の『栄花物語』、『樅ノ木は残った』、

『虚空遍歴』、『さぶ』等の中でも、女性の果たす

役割は大きい。しかし乍ら、周五郎の優れた読み手で

あった哲学者山田宗睦は、一人の女性に二人の

男が絡む場合の女性の描き方は秀逸だが、

一人の男に二人の女性が絡む場合の女性の

描き方には、女としての存在理由が欠如されていると

指摘し、周五郎は女性を描くのが下手な作家だった

のではなかったかと疑問を投げ掛けているが

(『山本周五郎 宿命と人間の絆』)、読者は、

山田の疑問をどのように受け止めるだろうか。



腰越漁港(前妻との新婚生活界隈)




 周五郎は、小学生の時、友人の姉に心を惹かれ、

質屋勤めの20歳前に、店主の長女に恋をし、

25歳頃の浦安時代には、雑誌社の先輩の妻の

妹と結婚したいと思った。慶應病院に入院した時、

付き添い看護婦だった女性を口説き落として

結婚したのが27歳の時だったが、敗戦直前の

5月に、15年連れ添った妻に先立たれ、見るに

見かねて周五郎に同情した女性を、後妻に迎えた

時は敗戦直後の1月の43歳だった。女性に対する

周五郎の想いは真摯であり、前妻と後妻の性格が

全く異なっていたのも、作品に登場する女性達の

性格の幅を広くさせたと言われている。若い頃、

生活の為に、少女雑誌に作品を書き続けた事も、

女性を深く考える上で、役立ったと云えるのかも

知れない。



 市川崑によって映画化された『その木戸を通って』と

いう小説では、ある日突然どこからともなく遣ってきた

女性が、家の皆から可愛がれ、若主人と結婚し

子供を授かり、暫し幸福な生活を続けるが、3年後

来た時と同じように、彼女にしか見えない木戸を

通って、突然何処かへと去って行ってしまう、

女性の不思議さを描いた。『将監さまの細道』では、

天神様の細道とは異なる歌を耳にし、探し回った

幼馴染にめぐり逢えた男が不幸な女性を救い

出そうとするが、

「50年前・・、そして、50年後・・」と胸に


刻みながら、駄目な亭主の哀願に、今を選ぶ女性を

描いた。周五郎は多くの女性を作品に登場

させたが、「日本の女性の一番美しいのは、

連れ添っている夫も気が付かなかったところに、

非常に美しく表れる」として、

『日本婦道記』を書き、

『おたふく物語』を書いた。

これらの作品は、男性の読者を意識して、

執筆したとも言われている。

前者は母や前妻をモデルとし、後者は、後妻や

義妹をモデルとした。前妻は、宮城県亘理町の

出身の大変我慢強い人で、「私は、大衆作家の

処に、嫁に来たのではない」と、周五郎が大きく

羽ばたくのを待ち望んでいたようだ。後妻は、

銀行勤めの物に拘らない明るい女性で、

作家の生活等にあまり関心が無かったようだが、

髪結いで読んだ雑誌の小説が面白かったので、

家に帰り周五郎に話した処、「かあさん、そりゃ、

僕の書いた小説だよ」と云って、作家の名前等

気にしない読者に読まれてこそ、作家冥利に尽きる

と、周五郎は怒りも、驚きもせず、

素直に喜んだそうだ。



山本周五郎墓(鎌倉霊園)


 山田は前著で周五郎を、「保守の小説家である。

人間が其れを失う事を自らに

許す事が出来ないもの

を保守する」と評したが、周五郎が描いた、作中に

登場する矜持を持った多くの保守する女性達に

支えられたのが、周五郎だった。


読者からいただいたメールを載せています。ご覧になってください。
編集部では皆様からいただいたメールには出来るだけお返事を
出すよう心がけています。

ご意見・ご感想はこちらまで!

ページトップへ