山本周五郎(中)

 ━歴史の「事実」と小説家の眼━

鎌倉市在住 市川 隼




 
山本周五郎長編小説全集

            

 

芥川龍之介は、今から100年前の1917年に、

短編『西郷隆盛』を書いた。維新史の卒業論文を

書く為に京都へ資料を蒐集しに出掛けた帝大生

が、帰りの夜行に乗り、食堂車で紳士と話が弾み、

西郷の話になった時、君は西郷が死んだと信じます

かと謎のような質問を投げ掛けられる。資料等役に

立ちませんよと、客室で眠っている隆盛に瓜二つの

男を指し示し、隆盛は生きて居ますと断言され、

学生が信じてしまう話だ。結果は、維新史の研究者

でもあった紳士の悪戯で、隆盛に似た男は、紳士の

友人の医師であり、歴史の「事実」のあやふやさを

熟知した、龍之介の冗談だった。

歴史家E・H・カーは、『歴史とは何か』の中で、

完璧な歴史的事実が机上に用意されるのを

期待するのは誤りで、歴史の

「事実」は、歴史家が創るものであり、現在の眼を

通してでなければ、私達は過去を眺める事も出来

ず、過去の理解に成功する事は出来ないと指摘し、


歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の

過程であり、現在と過去との間の尽きる事を知らぬ

対話なのだと述べている。龍之介もカーも、表現は

異なるが、既知と思われる歴史の「事実」や資料を

鵜呑みにするのではなく、自分の眼と頭で


(しっか)りと反芻しながら、距離を取って見詰めろ

と言っている。



 純文学と大衆文学、或は、歴史小説と時代小説の

間に、どのような垣根があるのか分からないが、

周五郎は、『城中の霜』では橋本左内を描き、

『よじょう』では宮本武蔵を、『正雪記』では由比正雪

を、『栄花物語』では田沼意次を、『樅ノ木は残った』

では原田甲斐を、『彦左衛門外記』では大久保彦左

衛門を、『赤ひげ診療譚』では小石川療養所を

描いた。これらの作品は、短・中・長編に分かれるが

、歴史上の人物や施設を俎上に載せた作品で、何

れも、周五郎の代表作として評価される作品だ。

その中でも特に、『栄花物語』、『樅ノ木は残った』、『

正雪記』では、周知と思われていた歴史の「事実」を

逆転してみせた。意次は、賄賂政治家として悪評が

高いが、寧ろ、幕政改革を進めた改革派政治家とし

て描き、甲斐は、伊達家を乗っ取ろうとした悪臣との

評判だったが、幕府の陰鬱な陰謀から、わが身を

掛けて藩家を守り抜く忠臣として描き、正雪は、

幸徳秋水事件を念頭に、権力にでっち上げられる

事件の被害者として描いた。




旧山本周五郎質店(現銀座7丁目)



 周五郎は、歴史の「事実」を逆転するだけなら簡単

だが、それでは文学にならない。事件に巻き込まれ

た人物を追いかけ、入り込み、彼らの心の中を描き

切れば、筋書きが自然と出来上がって来る。人間を

分析し、人間を描かなければ、それは文学でないと

言い切っている。〈甲斐〉は、20歳以前の質店の時

代から、すでにメモを作り始めており、作品となった

のは51歳の時だったので、彼の胸の中で30年以上

熟成された作品であった。〈意次〉も、25歳の浦安時

代に習作があり、作品になったのが50歳の時だった

ので、25年間胸の中で温められた。嘗て、黒澤明は

、監督が創りたい作品を、撮りたいように撮れば、

自ずと良い映画が出来る。それを許して呉れたから

、日本では素晴らしい監督が次々と現れたと語った

。周五郎は、作家がどうしても書かざるを得ない、或

は、書きたくなるような題材を書かなければ良い作

品が生まれないと云い、25年から30年、胸の中で燃

え続けて来た題材が、珠玉の作品となって読者の

前に現れた。





原田甲斐墓(東陽寺)HPより



 辻邦生は、ジョルジュ・シムノンと周五郎を本能的

小説家と評し、更に、「創造が意識されるのは、

時代の知的状況が作家にそれを強いているからだ

が、それでは力の籠った作品は描けない」と

アンドレ・ジッドの言葉を引用し、力の籠った作品が

描けるのは、シムノンや周五郎のように心底から

小説家である人、時代の知的状況からも何ら芯に

は影響を及ぼし得ぬ生得の小説家だけであると、

評している。




 


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