日本の教育の
在り方について


千葉県 大山 桜




 
オーストラリアの小学校の授業風景
自由にのびのびと学ぶために、椅子に座っての授業ではなく、
生徒全員が参加する授業(筆者撮影)





 私が今まで受けてきた教育を振り返ってみると、

「パリ協定とはなにか何文字で説明しなさい」

「産業革命はいつ起こったか。年号を答えなさい」と

か、今となっては覚えていることが一つもありません


環境問題などに至っては、何も教えられず、学校の

周りの公園や道路を綺麗にしたりして終わり。

生徒全員(教師すらも)この日本という環境が崩壊

するなんて考えてもいません。そこには核兵器の

記述もありました。私が中学生だった2006年にも

北朝鮮の核兵器による実験は行われていました。



 しかし、教師がそのことに触れることは一度もあり

ませんでした。ましてや、この国に核兵器が落ちたら

どうするか、など考えたこともありませんでした。

広島、長崎の悲劇がもしも東京に起こったらどうなる

?国はどう考えているのか?私はこう問いかけられ

たらすぐに答えを出すことはできません。

意見を言うことすら出来ません。

だって、小さい頃に考えたこともなかったから。



 教育というものは何のためにあるのでしょうか。

物事を根本から理解し、思考し、意見を出す。

という教育が日本では少ないような気がします。

あっても大学の一部の授業くらい。小・中・高は

詰め込み教育。いわゆる暗記物です。

歴史を学ぶといっても何の出来事がいつ行われた

のか。誰によって行われたのか。

せいぜいその程度です。



 理数系に至っては学ばないことを選択することも

可能ですが。これからの社会を生きていく上で政治

問題、環境問題は避けられない問題であります。

それなのに、これからを生きる若者を教育する現場

がこのことから目を避けている状態でいいのでしょう

か。
(もっと)も、そのことを理解している人も

いないから教えることも出来ないのでしょうが。




Critical Thinking

(クリティカルシンキング)



 海外ではCritical Thinking

(クリティカルシンキング)、直訳すると

批判的思考という言葉があります。日本で

批判的思考と言われると、少し聞こえが

悪いですが、海外の学生はこれを学びます。

また、「批判的」の言葉のニュアンスも違います。

海外のクリティカルシンキングの意味は、与えられ

た前提や条件から客観的に推測・検討・分析する

考え方を指します。どうも、日本では相手の主張を

尊敬して、相手の事を考えて、物事に意見する文化

や言いたいことを曖昧にする文化があるように感じ

ます(日本人の思いやりや日本語の奥ゆかしさ故の

事だと思いますが)。



 このクリティカルシンキングはなぜ?と問いかけか

ら始まり、物事を客観的、批判的に答えを出す考え

方になります。教科書に書いてあることすらも疑う、

なぜ?と考える。この思考こそがクリティカルシンキ

ングなのです。ただ、日本の教育は教科書に書いて

あることが全てであり、それを疑う者は誰もいない。



 もう少しわかりやすく言うと大学の授業の意見

交換などでは「私もそう思います」などの同調が多く

みられる気がします。これは小中高までの教育で

なぜ?を考える授業がないから。そして大人に

なってからビジネス本を読み始め、社会人になって

いく。このような教育で日本のこれからの未来が

どうなっていくのか想像もつきません。このような

状況を打破するために、欧米のクリティカルシンキ

ングを日本の教育にも取り入れるべきではないの

でしょうか。最も、そのためには今の日本の

受験制度から見直す必要があると思いますが。





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